IBM OmniFind Yahoo! Editionを動かしてみた(3)
あのとき僕らは端末の前にいた(2)

あのとき僕らは端末の前にいた(1)

(注:このエントリ中のURLは、多くがアクセスできなくなっています。あらかじめご了承ください。)

 昔、infotalkというメーリングリストがあった。

 入社して1年目、上司から「勉強になるから入っておけ」といわれて緊張しながらエントリのメールを出した。
 ちょうど、MOSAICがL10N化されたり、DeleGateができた頃だったと思う。当時流れた記事は、ここで垣間見ることができる。話題が高度でついてゆけなかった。

 そして1995年1月17日。兵庫県淡路島北部を震源とする平成7年(1995年)兵庫県南部地震発生。(概要は神戸市消防局ページから引用)
 その日の夜、20:05に奈良先端大で http://shika.aist-nara.ac.jp/earthquake が立ち上がったほか、翌18日には神戸市広報課と神戸市外国語大の協力でWebサイトの情報が震災関連の情報に切り替わった。また、奈良先端大のサーバは負荷に耐え切れず、より強力なマシンでの情報提供に切り替えた。

 18日の動きは早かった。infotalkでアナウンスされた情報の概要を以下に示す。

Tue, 17 Jan 1995 23:37:02 +0900

niftyserveにお亡くなりになられた方の名簿があるとの情報。
共同通信が配信しているリストが有料ページに存在。

(この間に、有志の交渉により日本文字放送が配付している文字放送の死亡者名簿のインターネットでの再配付の許可が下り、サイトに掲載)

Wed, 18 Jan 1995 18:06:03

www.ntt.jp が大量のトラフィックで不調、quake@xxxxx.ntt.jp にmail を送ると,死亡者名簿が送り返されるようになる。

(この間に、www.ntt.jpやathena3.cent.saitama-u.ac.jpで地震情報が流れ始める)

Wed, 18 Jan 1995 19:09:24

fj.misc上の地震の被害に関する情報を地域ごとにまとめたものが公開される
(以後、一日数回更新される。以下、「被害情報サマリ」と標記)

Wed, 18 Jan 1995 19:25:10

NTT広報発表の「兵庫県南部地震による電話等への被害について」がインターネット経由でも配布。 <http://www.ntt.jp/QUAKE/ntt-j.html>

Wed, 18 Jan 1995 20:07:48

奈良先端大学院大学で地震情報を提供していたSHiKAが高負荷のため
URL  http://itcw3.aist-nara.ac.jp/earthquake に交代。(SHiKAは黒NeXTでNeXTSTEP3.0J)

Wed, 18 Jan 1995 20:17:10

地震関連情報リストが
http://www.csl.sony.co.jp/earthquake/index.html  (英語)
http://www.csl.sony.co.jp/earthquake/index.j.html
で提供開始。

Wec, 18 Jan 1995 20:23:23

朝日新聞社の協力で、亡くなられた方・行方の分からない方のお名前を朝日ネット内の掲示板 LIST で公開するとともに、

  (1) http://www.asahi-net.or.jp
  (2) http://www.mmjp.or.jp

で公開。

Wed, 18 Jan 1995 20:33:51

ニュースに流れた地震による被害状況報告の項目別まとめが
http://www.cfi.waseda.ac.jp/users/g2b178/index-j.html
で公開。

(日時はすべてinfotalkのアーカイブ上のメールのタイムスタンプです。実際とは異なる場合があります。)

 当時はまだWebはインターネットの主役足りえず、各所のサーバは「実験中」「試験中」として個人の裁量で情報の公開が行えた。また、infotalkに集う主なネットワーク管理者も、メールやその他で顔見知り、といういわば村社会に近いものだった。

 誰に強制されることもなく、各所で、それぞれができる方法で情報を集め、発信することに奔走した。そして被災地にとっては「命綱」となる神戸周辺やNTTなど主要なノードのネットワークトラフィックを軽減させるために、自然とWebサイトの情報のコピーは各所にミラーリングされ、分散管理されていった。まだP2Pなど夢だったインターネットの上で。

 弊社でも、17日に課長から特命が下った。「インターネットには震災に関する情報はないのか。できるだけ集めて、公開せよ。」と。
 当時の自分にできたこと。課に1台しかないX端末(他にGUIを持つマシンはMacintoshぐらいだった)上でmnewsを開き、ネットワークニュースに次々と流れてくる現地の、マスコミでは報道されないような地域レベルの被災情報を集め、サマリとして公開することだった。

 当時の係長には、「野次馬根性を満足させるだけだ」と揶揄された。それでも、情報を必要としている人々がいることを信じて作業を続けた。入社して2年目が終わろうとしている何の技術も、プログラミングの知識もない自分にできるのはウインドウ間のコピー&ペースト、そしてそれをinfotalkやネットニュースに流すことだった。

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