災害

山が動いた(2) - 日本図書館協会はZ旗を掲げた

各図書館において、被災地からの要請に積極的に応えることが期待される。
(日本図書館協会, "被災者を支援する図書館活動についての協力依頼" http://www.jla.or.jp/earthquake/20110325.html, accessed 2011/03/26)

日本図書館協会が全国の図書館に対し、Z旗を掲げました。

日本図書館協会からの要請「被災者を支援する図書館活動についての協力依頼」の続報です。思ったより状況は速いスピードで動いており、3/26付け朝日夕刊9面に以下のように掲載がありました。Webでは http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY201103260268.html (accessed 2011/03/26)に掲載がありました。

図書館の本を被災地に送信:ファックスやメールで
(以下概要)
・被災者からの求めに応じ公共図書館が蔵書の一部をFAXやメールで送信
・JLAの要請に応じ、権利者団体が合意
・日本書籍出版協会、日本文芸家協会が了承
・東京都立、山梨県立が(依頼を)受付(メールアドレス掲載あり)
・JLAは他の公共図書館にも送信体制を整えるよう要請

日本図書館協会、日本書籍出版協会、日本文芸家協会並びに出版社など関係各位のご英断に感謝申し上げると共に、Twitterにて最新の情勢をご教示頂き、また #jishinlib での意見を関係者にお伝え頂いた南様豊田様ほか各位にお礼申し上げます。

なお、南様は、以下のようにも仰っております。

図書館界の意見を集約して各方面に伝達・要望するJLAの役割にもう少し慮ってくれてもいいような気がするんですけど。あと、求めるだけじゃなくて自らも動くってこと。私は少なくともそう心がけています。
http://twitter.com/#!/cityheim/status/51020179710287872
(Twitter, 2011/03/25 05:31AM, accessed 2011/03/26)

我々も「自らも動く」を心がけないと、改めて心した次第です。

図書館退屈男、認定司書の件などでは遺恨あるところですが、この状況に至っては日本図書館協会の動きを支持すると共に、一会員として協力は惜しまぬ所存です。先の「各図書館」は専門図書館等も含む全館種と信じて。


山が動いた - 被災者を支援する図書館活動についての協力依頼

(追記)以下は出版社ほか権利をお持ちの方々へのお願いです。 多くの被災地の図書館では、被災者や復旧救援救護に必要な文献や図書が利用できません。被災地向けだけでも、図書館に公衆送信権及び送信可能化権を頂き、事後の電子媒体の廃棄を条件に図書館間の複写をPDFで、メール送信を認めて頂けないでしょうか。

と無理を承知で前回のこのblogで訴えてみたり、Twitterでつぶやいたり、MLで各方面に投げてから約10日。

「まあ、図書館退屈男は言うだけで交渉能力ないし」と思っていたら、思わぬところから動きがありました。3月24日(木)に文化庁で開催された「電子書籍の流通と利用の円滑化に関する検討会議」(第6回)にて、常世田委員より「日本図書館協会から被災地への公衆送信に関しての要望」として会議終了後にこの件についての説明と議論がありました。また、糸賀委員からも補足のコメントなどがありました。詳細は文化庁「電子書籍の流通と利用の円滑化に関する検討会議」(第6回2011/03/24)実況ツイートをご参照ください。すでに日本図書館協会では18日の評議員会でこの件は決定していたようです。

この場での議論で、著作権者側委員などから賛同の発言があったことなどから、法改正ではなく「図書館と権利者で調整」ではどうか、という方向性が見えました。

そして本日、3月25日付塩見理事長名で日本図書館協会より権利者団体に対し「被災者を支援する図書館活動についての協力依頼―被災地域への公衆送信権の時限的制限について―」として依頼文書が出されました。

日本図書館協会から依頼した許諾の内容と条件をまとめると、以下の通りです。

  1. 被災者や被災地の図書館や病院等の公共施設等、また救援活動を行っている団体や個人などへのメールやFAXなどによる複写物の送信
  2. 被災地の乳幼児への絵本の読み聞かせや、高齢者向けのお話し会の実施や、これらの中継、これらの様子を録音録画したものの配信、絵本の版面の公衆送信
  3. 上記2点は震災による被災のため資料、情報の入手の困難な期間および地域に限定し、被災地の復興がある程度なされた段階で複製物等は廃棄する

いや、#jishinlib で議論されていた内容がこのように日本図書館協会からの依頼となるとは、思っても見ませんでした。別にここで書いたから、ということはまずないと思いますが、喜ばしいことです。

上記の依頼文書のページには「各図書館において、被災地からの要請に積極的に応えることが期待される。」とありました。我々はこれに応えるべく、活動する時が来たのでしょうか。

この場にて再度お願い申し上げます。権利者各位のご協力をいただけましたら幸いです。


さて、地震発生前に寄稿させて頂きました原稿が、2本とも無事出版されました。よろしければご高覧ください。

また、第5回 Code4Lib JAPAN Workshop「めざせ!図書館発、USTREAM中継!~基礎から、集客ノウハウまで~」(コンテンツ作成コース)(リンクはtogetterによるTweetのまとめ)にて講師を務めさせて頂きました。ちょうど先の依頼文書の2に利活用できそうな内容でした。また、開催が関西と言うこともあり、しばらくぶりに余震の心配のない夜を過ごすことができました。お招き頂きました大学図書館問題研究会の関係各位にお礼申し上げます。


地震に遭いました。被災館からのILL等の支援をお願いします。

地震に遭いました。

当館の被害は
http://www.flickr.com/photos/tzhaya/sets/72157626122349337/
の通りです。

来週から業務ができるかどうか、ILL/レファレンス担当とも相談する必要があるのですが、できることはしたいと考えています。
OPACは今のところ稼働、サービスを続けています。ただし、研究所間のネットワークは一部不通となっています。

阪神・淡路大震災の時はまだTwttierもなく、今のようにライフラインの情報が集約できることはありがたいことです。

いずれにしても、当面は資料の複写や相互貸借サービスを提供できそうにありません。つくばですらこの有様ですから、東北地区に至っては業務どころではないと思われます。

そして図書館退屈男からのお願いです。NACSIS-CAT参加館始め、ILLなどにご協力をいただける図書館様に置かれましては、被災館からの依頼の受入をお願いできないでしょうか。情報をまとめて提供することもそうですが、今、遠隔地の図書館でできることは、被災館が利用できない情報を提供して頂けることです。私たちもできるだけ早くサービス再開に努めます。

(追記)以下は出版社ほか権利をお持ちの方々へのお願いです。
多くの被災地の図書館では、被災者や復旧救援救護に必要な文献や図書が利用できません。被災地向けだけでも、図書館に公衆送信権及び送信可能化権を頂き、事後の電子媒体の廃棄を条件に図書館間の複写をPDFで、メール送信を認めて頂けないでしょうか。
お許しいただければ、twitterでハッシュタグ #jishinlib をつけてご連絡頂くか、コメントなどでお知らせください。全国の図書館へ連絡します。

図書館退屈男、伏して心よりお願い申し上げます。

そして、一日でも早く笑顔で利用者にサービスができるように。


あのとき僕らは端末の前にいた(4)

あれから15年が経過しました。幸いなことに、自分は当時と同じような仕事を続けられ、昨年掲載した「ネットワークニュースから収集した阪神・淡路大震災関連情報のサマリー」を維持しています。(サーバの更新などでデータが消失していましたが、本日復旧させました。お恥ずかしい限りです。)

現在ではtwitterで当時の様子を振り返るコメントが増えています。これらは、ShinsaiNow(http://19950117.jp/)からアクセスすることもできます。

このブログの記事、「あのとき僕らは端末の前にいた(1)」と(2)twitterでご紹介を頂き、多くのアクセスがありました。改めて、記録を残し維持することの重要さを感じます。twitterで今も流れている貴重な情報が新たな記憶として後世に残ること、また自分も「記憶を残す」職にあることの意味を考えつつ、今は静かに祈ります。

2020年1月16日追記:
ネットワークニュースから収集した阪神・淡路大震災関連情報のサマリー」について、このサーバに置き直して公開しています。

 


あのとき僕らは端末の前にいた(3)

(2007年のエントリ、「あのとき僕らは端末の前にいた(1)」「あのとき僕らは端末の前にいた(2)
の続きです。)

 当時の自分にできたこと。課に1台しかないX端末(他にGUIを持つマシンはMacintoshぐらいだった)上でmnewsを開き、ネットワーク ニュースに次々と流れてくる現地の、マスコミでは報道されないような地域レベルの被災情報を集め、サマリとして公開することだった。
(図書館退屈男. "あのとき僕らは端末の前にいた(1)". 2007-01-17.)

 また、サマリをプリントアウトし、インターネットに接続されていない地域や海外に送信し大変感謝された、との情報も頂いた。FAXまでは想定していなかった。
 正直、どのくらいの人があのサマリを必要としていたのか、どこまで配布されたのかはわからない。もしかすると、デマも混じっていたのかもしれない。
しかし、当時のネットニュースでは実名@所属での投稿が普通のことであったし、信頼するほかなかった。
(中略)
 残念なのは、当時は「保存」がこの中から抜けていたことだった。インターネットで生まれしものはインターネットの中に消えるのか。自分の手元にさえ、もうサマリは残っていない。

(図書館退屈男. "あのとき僕らは端末の前にいた(2)". 2007-01-19.)

  GIGAZINEの記事、「あの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集」に触発され、ここで触れた「被害状況のサマリ」についてサルベージし、Webサイトに置くことにしました

 真偽や粒度も定かではない情報ですが、残しておくことが大事であると考え、サルベージしてきました。

2020年1月16日追記:
ネットワークニュースから収集した阪神・淡路大震災関連情報のサマリー」について、このサーバに置き直して公開しています。


あのとき僕らは端末の前にいた(2)

 19日になった。

 一次情報を提供するサーバと共に、負荷分散を図るためミラーサイトが有志の手で次々と立ち上がった。

 共同通信が配信している死亡者リストは「自由に利用してかまわない」とのアナウンスがあり、Niftyserve上の地震情報エリアへのアクセスは無償となった。

 被害情報サマリにも家族の安否や具体的な被害の情報、ライフラインの状況などを中心に順次情報が追加され、別の有志の手でHTML化されこれらも各サーバでのミラーの対象となり各所へ配布された。

 朝日新聞でも、「Internetで情報が提供されている」と掲載され、トラフィックは増える一方となり、NTTではミラー用のtarballの提供を始めた。また、それを理化学研究所がミラーする、という体制になる。
 翌20日には、NTTへの負荷を下げるため、

すでにwww.ntt.jpはindex-j.htmlにおけるミラーサイト一覧の提示と
ミラーサイトへのanonFTPによる源データ供給に徹した方がよい

との提案がなされた。
 しかしwww.ntt.jpへのアクセスは増加し、ミラーリングについては

Sun, 22 Jan 1995 13:54:03

  先週の17日から20日まで www.ntt.jp には地震情報はもちろん、通常提供しているその他の情報に対するアクセスも急激に増加し、日本国内向けにwww.ntt.jpが接続されている回線(64Kbps)は、昼間はほとんど真っ黒という状況が続いていました。

  現在(日曜日)は比較的スムースな状況ですが、 anonymous ftp で www.ntt.jp に対して地震情報のmirrorを実施している各サイトでは、是非 NTTではなく、理化学研究所に対して mirror するようにして下さい。

と理化学研究所の利用を促すアナウンスがなされた。
そして、

Sun, 22 Jan 1995 15:22:12

各サーバを
1. 1次情報を発信している サーバ群
2. 1. のカテゴリのサーバをミラーしているサーバ
3. これらのサーバのインデックスを作成しているサーバ
に整理しては。

との提案と同時にIIJが加わることで、

Sun, 22 Jan 1995 15:25:45

IIJ、anonymous ftpでミラー用データ公開、以下のアナウンス発出。

  www.ntt.jpの地震情報を mirrorする方へ 

  anonymous ftp で www.ntt.jp に対して地震情報のmirrorを実施している各
サイトでは、NTTからではなく以下のサイトを利用して下さい。

商用 Internet 方面
  ftp://ftp.iij.ad.jp/pub/QUAKE/
研究用 Internet 方面
  ftp://ftp.riken.go.jp/QUAKE/ntt/mirror/

と、www.ntt.jpをマスターとして、経路別にミラー用サーバが用意された。

以下、19日の主な経過を示す。

Thu, 19 Jan 1995 02:19:36

http://www.med.kyushu-u.ac.jpが負荷分散のため

http://itcw3.aist-nara.ac.jp/earthquake/ の下のいくつかのファイル、
http://www.ntt.jp/QUAKE/ntt-j.html の下のいくつかのファイル、
[email protected] へのメールの結果、
http://www.mmjp.or.jp/mmjp/ の下のいくつかのファイル
http://www.cfi.waseda.ac.jp/users/g2b178/index-j.html
http://athena3.cent.saitama-u.ac.jp/spool/ の下のメール群

をミラーして提供。

Thu, 19 Jan 1995 09:32:02

http://www.phys.s.u-tokyo.ac.jp/index-j.html
にも、地震関連サーバへのリンクのまとめ。

Thu, 19 Jan 95 09:45:12

1/18 PM 7:30にniftyserve上で共同通信が配信している死亡者リストが無償公開になったとの情報。

Thu, 19 Jan 1995 12:34:07

Nifty の地震情報エリアは、基本接続料金含めてすべて無料になりました。
との情報。

Thu, 19 Jan 1995 14:24:46

「NTT が提供している日本文字放送からの情報は自由に使用してくださって結構です」とアナウンス。各所でミラー可能に。

Thu, 19 Jan 1995 16:22:18

現地からの情報として神戸市外国語大学のページが紹介された。
http://www.kobe-cufs.ac.jp/kobe-city/whatsnew/disaster.html
「独自取材の情報がいっぱいある」とのこと。

Thu, 19 Jan 1995 17:20:48

NTT の地震のデータのミラー用に、anonymous ftp で /QUAKE/quake.tar.gz が公開される。

Thu, 19 Jan 1995 20:17:45

www.iij.ad.jp で地震情報のページが公開。NTTのミラーを含む。

Thu, 19 Jan 1995 20:18:39

東洋エンジニアリングでもNTTのミラー公開
英語  : http://www.toyo-eng.co.jp/NewHome/QUAKE/index.html
日本語: http://www.toyo-eng.co.jp/NewHome/QUAKE/index-j.html

Thu, 19 Jan 1995 22:22:35

東洋エンジニアリングで被害情報サマリのHTML公開

Thu, 19 Jan 1995 23:10:57

中部大でもミラー開始。

Thu, 19 Jan 1995 23:32:26

理化学研究所、毎時40分に

     ftp://www.ntt.jp/QUAKE  を
     ftp://ftpriken.go.jp:/pub/QUAKE/ntt  以下に

ミラーする設定

 当時、NTTより発信されていた情報のスナップショットを以下に示す。なお、このファイルは当時www.ntt.jpの管理に携わっていたNTTの高田氏よりご寄贈頂いた。本文を持って謝辞としたい。

Ci070116155748 Ci070116155754

 被害情報サマリに掲載すべき情報は日々増加していった。ネットニュース上の記事だけでなく、ネットニュースに投稿できないサイトか ら電子メールでも情報を頂き、これらも追加していった。
 ありがたいことにHTML化は東洋エンジニアリングの方にしていただき、webにも載せられるようになった。
 また、サマリをプリントアウトし、インターネットに接続されていない地域や海外に送信し大変感謝された、との情報も頂いた。FAXまでは想定していなかった。

 正直、どのくらいの人があのサマリを必要としていたのか、どこまで配布されたのかはわからない。もしかすると、デマも混じっていたのかもしれない。
しかし、当時のネットニュースでは実名@所属での投稿が普通のことであったし、信頼するほかなかった。

 図書館員の仕事は、媒体はともかく利用者が必要とする情報を集め、整理・分類、提供・保存すること。
 件のサマリを作り配布すること。それはまさにこのような状況下で図書館員が行うべき仕事であったのではないかと思う。たとえ藁のような情報でも、それを必要とする人がいるのならいくらでもかき集めてきて海に投げるだろう。それが図書館屋の矜持。

 残念なのは、当時は「保存」がこの中から抜けていたことだった。インターネットで生まれしものはインターネットの中に消えるのか。自分の手元にさえ、もうサマリは残っていない。


あのとき僕らは端末の前にいた(1)

(注:このエントリ中のURLは、多くがアクセスできなくなっています。あらかじめご了承ください。)

 昔、infotalkというメーリングリストがあった。

 入社して1年目、上司から「勉強になるから入っておけ」といわれて緊張しながらエントリのメールを出した。
 ちょうど、MOSAICがL10N化されたり、DeleGateができた頃だったと思う。当時流れた記事は、ここで垣間見ることができる。話題が高度でついてゆけなかった。

 そして1995年1月17日。兵庫県淡路島北部を震源とする平成7年(1995年)兵庫県南部地震発生。(概要は神戸市消防局ページから引用)
 その日の夜、20:05に奈良先端大で http://shika.aist-nara.ac.jp/earthquake が立ち上がったほか、翌18日には神戸市広報課と神戸市外国語大の協力でWebサイトの情報が震災関連の情報に切り替わった。また、奈良先端大のサーバは負荷に耐え切れず、より強力なマシンでの情報提供に切り替えた。

 18日の動きは早かった。infotalkでアナウンスされた情報の概要を以下に示す。

Tue, 17 Jan 1995 23:37:02 +0900

niftyserveにお亡くなりになられた方の名簿があるとの情報。
共同通信が配信しているリストが有料ページに存在。

(この間に、有志の交渉により日本文字放送が配付している文字放送の死亡者名簿のインターネットでの再配付の許可が下り、サイトに掲載)

Wed, 18 Jan 1995 18:06:03

www.ntt.jp が大量のトラフィックで不調、[email protected] にmail を送ると,死亡者名簿が送り返されるようになる。

(この間に、www.ntt.jpやathena3.cent.saitama-u.ac.jpで地震情報が流れ始める)

Wed, 18 Jan 1995 19:09:24

fj.misc上の地震の被害に関する情報を地域ごとにまとめたものが公開される
(以後、一日数回更新される。以下、「被害情報サマリ」と標記)

Wed, 18 Jan 1995 19:25:10

NTT広報発表の「兵庫県南部地震による電話等への被害について」がインターネット経由でも配布。 <http://www.ntt.jp/QUAKE/ntt-j.html>

Wed, 18 Jan 1995 20:07:48

奈良先端大学院大学で地震情報を提供していたSHiKAが高負荷のため
URL  http://itcw3.aist-nara.ac.jp/earthquake に交代。(SHiKAは黒NeXTでNeXTSTEP3.0J)

Wed, 18 Jan 1995 20:17:10

地震関連情報リストが
http://www.csl.sony.co.jp/earthquake/index.html  (英語)
http://www.csl.sony.co.jp/earthquake/index.j.html
で提供開始。

Wec, 18 Jan 1995 20:23:23

朝日新聞社の協力で、亡くなられた方・行方の分からない方のお名前を朝日ネット内の掲示板 LIST で公開するとともに、

  (1) http://www.asahi-net.or.jp
  (2) http://www.mmjp.or.jp

で公開。

Wed, 18 Jan 1995 20:33:51

ニュースに流れた地震による被害状況報告の項目別まとめが
http://www.cfi.waseda.ac.jp/users/g2b178/index-j.html
で公開。

(日時はすべてinfotalkのアーカイブ上のメールのタイムスタンプです。実際とは異なる場合があります。)

 当時はまだWebはインターネットの主役足りえず、各所のサーバは「実験中」「試験中」として個人の裁量で情報の公開が行えた。また、infotalkに集う主なネットワーク管理者も、メールやその他で顔見知り、といういわば村社会に近いものだった。

 誰に強制されることもなく、各所で、それぞれができる方法で情報を集め、発信することに奔走した。そして被災地にとっては「命綱」となる神戸周辺やNTTなど主要なノードのネットワークトラフィックを軽減させるために、自然とWebサイトの情報のコピーは各所にミラーリングされ、分散管理されていった。まだP2Pなど夢だったインターネットの上で。

 弊社でも、17日に課長から特命が下った。「インターネットには震災に関する情報はないのか。できるだけ集めて、公開せよ。」と。
 当時の自分にできたこと。課に1台しかないX端末(他にGUIを持つマシンはMacintoshぐらいだった)上でmnewsを開き、ネットワークニュースに次々と流れてくる現地の、マスコミでは報道されないような地域レベルの被災情報を集め、サマリとして公開することだった。

 当時の係長には、「野次馬根性を満足させるだけだ」と揶揄された。それでも、情報を必要としている人々がいることを信じて作業を続けた。入社して2年目が終わろうとしている何の技術も、プログラミングの知識もない自分にできるのはウインドウ間のコピー&ペースト、そしてそれをinfotalkやネットニュースに流すことだった。