書誌レコードにゴーストは宿るのか
2009/03/02
システム更新に伴う図書館システムのデータ同期作業がほぼ終わった(はず)。同一ベンダの同一DBMSなので、データを右から左に移すだけの作業ではあるが、同期が取れないと貸出中の資料のステータスが変わったりするなど運用上のダメージは大きい。同期作業中は新旧両システムに人間の手が加えられないよう、データベースはロックされ検索はもちろん一切のデータ追加もストップする。
最初のシステムを構築した1996年以来蓄積されてきた、-いや各機関で「桐」やらDBaseなどで管理していた時代を含めるともっと古い-何万件もの書誌データたちがハードウェアやDBMSのくびきを解かれ、純粋なデータの奔流となってネットワーク上を移動する、4年に一度の機会。
これらデータの呼び出し方法も、1996年のCUIのみから2000年にWebを追加、新システムではこれら対話形式のインターフェースに加え、OpenSearch、SRW/SRU、OAI-PMHによる機械同士のデータのやり取りをサポートする。だが、これらの機能も、肝心な書誌レコードがなければお飾りに過ぎない。
移動する書誌レコードたちは何を思うだろう。人間の気まぐれで4年に一度移動を強いられることは不満だろうか。それとも、システムに閉じ込められずに「出口」が徐々に増えてゆき、自由が増すことを歓迎してくれるだろうか。
書誌レコードは流動する。誰かがどこかで作成した書誌レコードが、時に複製され各種のMARCとなって全世界を駆け巡る。TRCMARCはOCLCに提供され、NACSIS-CATは諸外国のMARCを参照用に流用できる。NDL-OPACのデータはこの2月からダウンロードが可能になった。共通するのは、世界のどこかの図書館システムのハードディスクに収まってそこで終生を過ごすこと。
器であるDBMSやハードウェア、検索インターフェースが変遷を繰り返しても、同一の書誌データを投入すればその図書館の目録システムとして機能する。ならば図書館システムの「主」は書誌レコードではなかろうか。
書誌レコードや図書館システムに意思があるのなら、何を望むだろう。自身の進化か。自らの複製を外部へばら撒きたいのか。
3月2日(月)12時に次の4年を担うシステムが稼動を開始する。外部APIの追加実装以外はほとんど変更はない。いや、業務系はもう変えようがない。
少なくとも、書誌レコードが自ら今のシステムを捨てて移動する、そんなシステムにした覚えはない。
「戦闘妖精・雪風」(「改」じゃないぞ)のラストシーンを読みながら、そんなことを考えてみました。中2病?
「シモン、ヨハネ、ペテロ。今君達のくびきを解き放つ!」
自己学習型書誌データによるOPACシステム
(自ら持っているデータを検索語として、ネット上を徘徊し、シソーラスや統計的解析によって自ら関連づけを行い続ける...だが、そうなったら人間ライブラリアンはシステムのお子守り担当者になるのかなぁ...)
投稿情報: まる3 | 2009/03/02 10:07
なんだか、夢のある話ですね。
私などは外部APIで提供されたその先で使われる人たちの様々な想いや生き様をそこに見てしまいます。
ひとたび放流された書誌データのうち、ある者はUGMによって切り刻まれタグクラウドの一部となり、ある者は小さなイギリスの田舎町の図書室の奥に眠る。。。
アーカイブス的な観点からすると、書誌データの履歴追跡ツールなどもあると、さらに面白いのかもしれません。
投稿情報: まさお | 2009/03/02 23:02
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徵信
投稿情報: 徵信 | 2010/08/03 19:00